2016再開祭桃李成蹊番外〜慶煕20179

そんな言葉を交わしつつ踏み込んだ舞台裏。

天鵞絨幕の垂れる影、此方に頭を下げる男を掴まえたミンホは

済みません、スマホ失くしたみたいなんだ。探したいからステージの

ライトを点けてもらえますか?

平然とした顔でそんな芝居を打つ。

ああ、もちろん。ちょっと待ってて

掴まえられた男はその芝居を信じ込んで駆けて行く。

すぐに眸の前の広い舞台に溢れるような白い光が射す。

先刻と違うのは並ぶ客席の椅子に男を待つ熱がない事。

暗がりに慣れた眸が痛み、それを眇めて横を確かめる。

大したものだ。一言の芝居でこの光を取り戻す男。

ミンホ

見つかりそう?ヨンさん

何をどう探せば良いかも判らぬだろうに、奴は眩い舞台へ出で左右を

見回し、逆側に垂れた幕まで走り、その向こうへ消えて行く。

そしてすぐに其処から飛び出してきて首を振り

ダメだ、あの時みたいな光はないよ。どうする?

ミンホ

奉恩寺に行こうか。それとももう少し探す?

先刻より光が眩く明るい。視界を遮る物が何一つない所為か。

悲鳴のようなあの呼び声が届かぬ分、互いの声が伽藍洞の舞台の上に

やけに響く。

お前は俺とは違う

え?

天界でまだ戦が起きていようとも、戦場で敵の血で濡れる剣を下げる

必要も、命を奪う痛みを知る謂れもない。

お前は王だ。高麗の光を、そして慕う者を統べる王だ。

光の中で正道を生きる者だから。

俺のようには生きるな

ヨンさん?

ミンホは己の手首に巻いた碧の紐に指先で触れながら呟くと、ふと

思い立ったようにその紐を解き、俺へと手渡した。

俺の理想はヨンさんだよ。生まれ変わりたいと思うくらい

お前な

相手が迂達赤なら人の話を聞けと蹴り飛ばしてやりたい。

しかし同じ顔の、天界の男相手ではそうもいかん。

まして碧の紐ごとこの掌を確り握り締められては。

自信を持って、信じて、耐えて、待って、それでも後悔もしない、

させないように生きたい。大切な人のために何でもしたい。

俺も迷わず自分の大切なものを守りたい。正しい事だけしたい

お前は俺を知らん

自信を持って。後悔せずに。迷わずに。正しい事だけを。

この掌ごと渡した碧の紐を握り締める奴の手を静かに解く。

その目を正面から見据えると、視線に圧されて男が瞬く。

それが出来れば苦労はない

ヨンさん?

自信など無い。後悔と迷いと間違いだらけだ

理想だ。そう生きられればどれ程素晴らしく、どれ程楽か。

誰も失わず傷つける事もなく、あの方に逢う事も無かっただろう。

もしも逢ったところでただ天界から攫い、その大切さに気付かぬまま

約束通り手放し帰して終わっていただろう。

二度と会わんから言っておく。お前を気に入っていた

どういう事?何で突然?二度と会わないって、何それ

繰り返されれば悪縁だ。もう会ってはならん

天界と高麗。交わってはならんとあの方の時に肝に銘じた筈だ。

俺の為に下界へ降りた天女。あの方を最初で最後にせねばならん。

交わればその力を利用しようとする奴が現れる。参理や奇轍や徳興君

のように。

あの方がいい例だ。この男までが理想だ何だのと寝言を言い出すとは

思ってもみなかった。

これ以上は絶対にならん。天門が開こうと知らずに潜ろうと、この男と

関わる事は絶対にあってはならん。

それがこの男の為だ。これ以上俺達の道が交わる事は許されん。

光に満ちた正道を歩むお前の姿は此処で見納めだ。

例えどれ程その行く末を見守りたくとも。

お前は光の中を行け。良いか、絶対に忘れるな

煌とした光に溢れる舞台の上、眸が痛む程眩しい幾筋もの条光に

照らされて、向き合った男が首を振る。

四方八方から照らす光の中、影になる逃げ場所は何処にもない。

ダメだよヨンさん、まず帰り道を探すんだろ?

此処で終いだ。酒は酌み交わせえなかったが、茶は飲めたしな

共に茶を飲めて良かった。約束を果たせたようで肩の荷が下りた。

あの方が俺を想って拵える茶を、天界でお前と飲んだ事は忘れん。

目許を僅かに緩ませると、向き合う男の振る首が激しさを増す。

ダメだって!まだ帰り道も見つかってないだろ?それに俺まだ

聞きたい事も、知りたい事も

お前は大丈夫だ

聞いてもいないのにどうして分かるんだよ!

判る気がする。お前の弱さも、そして強さも。

戦が続いているなら尚更だ。お前はそんな下らぬ柵に関わり合うな。

龍は空を翔ければ良い。留守の間を守る虎を身近に置けば良い。

お前が戻って、再び光の中を歩み出すまで。

周囲の全てを照らす光を、もう一度この場所でお前自身が放つまで。

お前を心から愛している者なら待つだろう。

俺があの時、あの方の帰りを待ったように。

そして待たぬ者を追い掛ける必要など無い。

最後に判るのだ、今までお前が何を成して来たのかが。

悔いが無いなら懼れるな。愛する者らがお前の帰りを待っている。

この口端で浮かべた笑みにミンホの表情が硬くなる。

頭の巡りも早いらしい。気付いたように舞台を照らす眩しい光の源へ

鋭く振り向くと、其処に居るだろう先刻の男を指すよう腕が上がる。

ダメだ、ライト消して!

お前に兄弟は居らんのだろうか。ふとそんな事を考える。

兄を失くす弟のような取り乱した様子に、胸の何処かが痛む。

もう会わん。会えんのではなく、もう会わん。

それでもお前がこうして光の中にいると判っただけで安堵する。

元気でな、ミンホ

ヨンさん!ちょっと待って!!

その刹那、四方から舞台を照らす眩い光が重鈍い音と共に落ちた。

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